• 飯室淳史

人生の時間は有限だ



 写真は今年(2018年)4月に1ヶ月間の短期移住した時に撮影した下地島END17から見る宮古ブルーだ。そういうとすぐに「1ヶ月も宮古島でのバケーションだなんて良いですね」とか「フリーランスは好き勝手ができるなぁ」とか言われてしまうので心外だ。れっきとした仕事である。そういうと、宮古島にクライアントがいるの?と思われるだろうがそうではない。ものすごくかいつまんで言うと、遠く宮古島に住んでも首都圏のお客さまとリモートワークで普通に仕事ができる実証実験を行い、日本企業のまちがった働き方改革へ一石を投じたい。まぁ、かっこよく言うとそう言うことになる。


 働き方は、すなわち方法論のことだ。まるで製造工場での業務手順や、品質管理工程や、改善運動か何かのように、仕事の仕方を変えれば良いと言わんばかりだ。ノー残業デーを設けて、早く帰ることを促すだけで働き方を改革したと思いこむから、早く家に帰ってもすることがない社畜たちが夕方の街にあふれ、ネットカフェやレンタルオフィスはどこも満員状態で、会社ではないどこかで残業しているだけで働き方など変わっておらず、働く場所が変わっただけだ。そのうちに会社のPCの自宅への持ち帰りを禁止したり、プレミアムフライデーのような強制的な働けない状況を作ったりしたが、もはやそうなると手段と目的が入れ替わってしまい、「なんのための働き方改革か」ということを忘れて、仕事をさせないようにする事=働き方改革のようでさえある。本当はそうではなかった筈だ。社畜として神経も肉体もすり減らして消耗させてしまうような日々を繰り返すのではなく、人間らしい生き方をしよう、という変革だったはずだ。


 しかし、実際には効率や生産性を上げる、無駄をなくす、といった改革をうたい、特に製造業を中心に高度成長時代に繁栄を謳歌し成功体験を持つ大企業や、お役人や、歳をとった政治家たちは、何かとすぐにHOW、すなわち方法論に走るのが悪いクセだ。まさか、そんな働き方(手順、プロセス)をちょっと変えたくらいでは、もうどうしようもないくらい日本の企業は腐っているのだから、経営者全員の首をすげ替えでもしない限りは、もう復活の道はないと思っている。それが無理だとしたら、変えるべきは働き方ではなく、自分の人生をどう生きるかという「生きかた」そのものを見直すべきで、そうだ生き方改革なのだ。まぁそれを政府が主導するというのもおかしな話だが、それもHOWではなく、WHY、つまりどうして人生を生きるのか、自分の人生の目的はなんだろう か、と今一度問い直して、何も考えずに社畜として生きつづけるのか、自分の人生を取り戻すの か、其処から考え直さないで、なんの働き方改革だ!と契約先で吠えたら、こう言われたのだ。


「そういう飯室さんも、会社勤めこそはしていませんが、独立してからお忙しそうにしてて、週末もなく働かれて、働き方改革、いえ、飯室さんのいうところのいき方改革が必要なのは飯室さんご自身なんじゃないですか?」と。おいおい。


 すかさず私も言い返す 「忙しく働いている事が問題なんじゃないんだよ、私の仕事なんてどこにいてもいつでも好きな場所で好きな時間で好きなだけやれるんだ、しかも人生をどう生きるか、明確な目標と夢があって、それを実現するために好きでやってんだからいいんだよ。これが私の人生だ。社畜と一緒にするな!もはや、仕事も人生も一体化しているし、好きな時に好きなだけ働き、遊ぶ時には好きなだけ無制限に遊ぶ。学ぶためにも時間をたっぷりとる。通勤時間がない分、ずっと自由な時間がが増えているし、平日の昼間に買い物にったりドライブに行ったり旅行に行ったりしてるんだ。それこそ、おたくの会社のトレーニングだって、遠い南の島に住んでいたってできるんだよ!」というと、

「それ、大好きな沖縄に移住してから言ってくださいよ」と挑発するものだから「面白い、じゃ、宮古島に住んで、 あっちからトレーニングをリモートでやってやろうじゃないの」と 売り言葉に買い言葉で、私は宮古島でマンスリーマンションを借りて、1 ケ月の移住とリモートワークをすることに決めたのだ。リモートワークといっても単なる電話会議やビデオ会議では無い。本当にビデオ会議越しに、ネットを駆使して社員のトレーニングをするというものだ。実際に3社とそれぞれ3時間ほどのワークショップを開催し、東京の会社に訪問して実施するのと同じ内容で30人から60人ほどの社員の方を相手に同等の効果を得ることが検証出来た。見事に実証実験は成功したのだ。でもまあ、こうなると正直に言うと、宮古島でも北海道でも、どこでも仕事はできるということだ、もちろん新横浜でも良いのだ が(笑)


 いや、それが今日の主題ではない。そこに至るまでの「人生の生き方」のお話なのだ。

 2018年6月21日で私は満58歳になった。いつの間にか歳をとってしまった。思い返せば2016年9月15日、32年間ずっと転職をしないで勤め上げた(?)会社人生に終止符を打ち、GEを首席で卒業し←ココ笑うところね、56歳で独立した。と言っても、すぐに起業したわけでも、目的を持って働き始めたわけでもなく、お声がかかった講演をしたり、メディアの取材を受けたり、ブログを書いたり、ワークアウト(運動ではなく、グループディスカッションの方法論の一つ)やトレーニングをしたりと、まるでブラブラと遊び人の金さんの様な生活を、2017年の5月まで続けていた。それもこれも奥様に「これから少なくとも2年は収入がゼロになるけどいい?」と頼み込んで快諾して貰えたからだ。おかげで半年収入がほぼない生活が続いたが、なんとかなるもんだ、人生は。


 そんな姑息なことを奥様にお願いしたのには理由がある。私よりも1年ほど先に個人で独立をされた人事系コンサルタントの方に相談をした時のことだ。


私「何にも考えないまま、とにかくフリーエージェントとして働きたくて会社を辞めちゃったけど、これからどうしたらいいかしら?」とスカイプ越しに相談した時、

彼「あのさ、最初の数ヶ月はさ、まったく声もかからなければ、何にも仕事がないわけさ。さすがにね、胃がキリキリと痛むわけよ、もうね、ゾォ〜っとしたよ、あれは覚悟したほうがいいよ、後にも先にもあんなに辛い気持ちになったのは初めてだよ」としみじみと独立直後の恐怖を語ってくれたのだ。その時はオンラインで飲もう!と、スカイプ越しにお互いにPC画面の前で、新横浜と尼崎の離れた2箇所をつないで、ビールを飲みながら笑いながら語っていたのがとても印象的だったのだ。正直に怖いなと思ったし、私はきっとそんなプレッシャーに耐えられない人間だ、だから、そんなプレッシャーを回避するために、私が奥様に言った言葉が「これから2年は収入がゼロになるけどいい?」だった。それを許してもらえれば胃は痛まないはずだった。


 奥様にしてみれば、「これから2年は収入がゼロになるけどいい?」って言われて、ダメだっていう返事の選択肢はなさそうだし、(この人はいったい何を聞いているの?)といぶかしんだそうだ。(この人、もしかしてバカじゃないの?)と。(まぁ、まだ退職金もあるし、ローンもないし、もう子供も独立したし、食っていくだけなら贅沢さえしなければ何とかやっていけるし、それにもう勝手に相談もなくさっさと会社辞めてきちゃったわけだし、いいもクソもないじゃないのよ!)だから「いいわよ」というしかなかったそうだ、うぅ、ごめんね。


 さて、自分が会社の中でやりたいと思ったことはやり倒し、楽しめるだけ楽しませてもらった会社だった。それは、まるでディスニーランドへ行くかの様に、毎日スキップして会社へ行けるくらい楽しかった、なぜならそこは私の夢と希望を実現する場所(遊び場)であり、人生の目的を達成する修験道場でもあったからだ。さんざん会社で好き放題やり放題に勝手に遊ばせてもらって、さらに毎月決まった額の給料までくれるなんて、まるで泥棒に追い銭じゃないかと思ったものだ。これって、ディズニーランドで遊ばせてもらって散々楽しんだ帰りがけに出口で、係りの人が何を間違えたのか「また来てくださいね、これどうぞ」と金一封をくれたような気分なのだ。いや、ほんと。そんな会社の時間と仲間のおかげで、私の人生の夢、自分の目的を実現してくれる素晴らしい環境こそが、私にとって会社だったと言うことだ、そう、それまではだ。


 この話をすると、必ず同じ会社で働く人たちが「そりゃ、あれだけ傍若無人に好きなことだけやり倒していたのは、後にも先にも飯室さんだけなので、まるでうちの会社が遊んでいて給料もらえるような言い方されては困ります」とか説教されたな、後輩たちに(笑)。そういえば、会社を辞める時の挨拶で「これからは、もう我慢しないで、自分の好きなことだけをやって生きていきたい」とスピーチしたら、すかさず「あんた、散々好きなことしかしてなかったくせに、この上まだ好きなことするって許せない」とも叱られた気がする。

 で、時間軸を戻すと「そろそろ次の夢のためにリセットして、またゼロから修行をし直す時が来た」と思ったのは2016年の6月1日だった。なんだか、かっこいいじゃないか、次の夢のためなんて。


そもそも、2015年から日本人として初めてグローバルデジタルリーダーという思いがけないチャレンジな仕事をさせてもらう機会に恵まれたおかげで、今まで一緒に働いたことがない世界中の仲間と一緒に過ごし、違う価値観の全く経験のなかった環境で、初めてのことや様々な刺激や衝撃と反省もあったおかげで、久しぶりに自分を見つめ直すことができた。


 それというのも、グローバルリーダーに就任した直後に、自己紹介を兼ねて、私がこれまで何をしてきたか、デジタルマーケティングの取り組みをプレゼンテーションした時のことだった。5人のマネージャーのうちの一人が手を上げて、「Atsuが今まで何をしてきたかに興味はないんだ。あなたは、今から何ができるといんだ?どうするつもりなんだ?」と、まるで喧嘩を売っているかのような言い回し。年齢で言えば、20歳は若い彼は、チームの中では、新しいツールをはじめとテクノロジーとマーケティングを融合させる役割のキレキレなやつだった。もちろん喧嘩を売っているわけではなく、何ができて、どんな役割をこなして、どこへ導いてくれるつもりなのか、チームの将来について思いを馳せていたに過ぎず、そしてストレートな言い方は、グローバルならではのものだ。彼が、そんな風に思うのには、理由があった。


 実は、もう6年以上前から、グローバルWebは危機的な状況に瀕していた。未だに英語しか扱えないサイトで、各国の事情に合わせてローカライズできない巨大な製品ライブラリーでしかなく、マーケティングツールとしては、ほぼ機能していなかったために各国の営業とマーケターからの不満とプレッシャーは頂点に達しており、このチームはその責任を追及され、吊し上げを食っていたのだ。また、私のポジションであるデジタルマーケティングリーダーには、これまでボスコンやGoogleやApple出身と言った外部からデジタルの専門家を招聘したが、ことごとく失敗して半年から1年で交代を繰り返し、とうとう「やっぱりバイオテクノロジーでの経験があって、デジタルに造詣があって、新しいことが好きなやつに任せるべきではないか?」という意見が出てきて、極東の日本で好き勝手にデジタルマーケティングに傾倒していた私に白羽の矢が立ったのだった。


 私がデジタルマーケティングを好き勝手にできていた理由は、本社のグローバルWebでは日本語が扱えないために、日本のお客様のためにいち早く日本語で独自にWebを立ち上げるしか道がなく、そのために、自社だけでWebを運営できる技術者から、CMSツール導入までして、人も予算も時間も投入していたということ。そういう意味では、たった200人の日本の組織でもマーケティングだけ25人の人材が投入されて、実は世界で最も大きなローカルのマーケティング組織を運営していたのだった、もちろん予算も最大級だった。


 おかげで、本社の決済を必要としないで、自由にデジタルマーケティングへの投資が可能だった。それをいいことに2012年にお客様のLTVの最大化戦略を具現化するために、サイバー大学Life Sciences Academy(通称LiSA)を立ち上げ、同時にまだ日本にはなかったマーケティングオートメーションツール(MA)を自社開発したのだった。サイバー大学の登録してもらったお客様をMAで追跡し、Web上での行動をスコアリングして、リードに結びつけて、育てていく、当時ではまだどこの企業もほとんど手を出していない手法を好きなだけ試せる環境にあった。この辺りのはお話は、上島千鶴さんの勉強会などで講演する機会に恵まれ、様々なイベントで講演することにもなった。そして2013年には、日本上陸したばかりのHubSpotと契約して、本格的なMAの運用を開始して、GEの中では世界で初めてデジタルマーケティングエコシステムを構築・運用するチームとして認識されるようになり、世界中からデジタルマーケティング導入に関する問い合わせが毎日のようにひっきりなしに届くようになったほどだ。そうした実績を買われて、グローバルリーダーになれたので、就任した時は、これまでやったことをきっと私は自慢げに語ったはずで、それは散々リーダーが交代を繰り返してきたチームの皆からは、面白くなかったようだ。


「Atsuが今まで何をしてきたかに興味はないんだ。あなたは、今から何ができると言うんだい? どうするつもりなんだい?」と問われた私は、「私のゴールは、近い将来、デジタルマーケティングという名前のついた専門部署が不要となる程に、全てのマーケターにとってデジタルマーケティングは当たり前のツールとなって、日常の業務で使いこなせるようになってほしい、それを目指す。私が不要になり、このチームが解散できるのであれば、目的は達成だ。」というとチームがざわついた。


きっと私の下手な英語がうまく伝わらなかったのか、と心配したが、あとで理由を聞くと「就任早々にチームを解散させるために来て、自分もいなくなると宣言するバカなリーダーは初めてで、こいつは天才的なディスラプティブリーダーか、あるいはタチの悪い組織を解散させるために経営陣から送り込まれたスパイか、どちらかだ」と言っていたそうだ(とは全く聞き取れず、私は壇上でニコニコしていたのを覚えている)。しかし、しばらくすると、誰かが拍手をしたのを皮切りに、皆が駆け寄って握手を求めてくれたので、まさかそんなことが話し合われているとはつゆ知らず、単純な私は、皆が受け入れてくれたと勘違いして(受け入れてはくれたようだが)、プレゼンが成功してよかった、とか能天気なことを考えていた。


 正直な話をすると、日本にいた時の私はデジタルマーケティングの専門家でもなんでもない、単にデジタルが好きなだけで、優秀なスタッフにああしたい、こうしたいよー、こうすると面白いかも!というだけで、自分の手で何かしたわけではなく、言えば皆が動いて実現してくれるので、私が注力したのは、デジタルマーケティング戦略を立案し、将来のロードマップを描き、皆にやってくれとハッパをかけていただけのリーダーだった。


 また、マーケティングリーダーの後には、2年間だけ日本の社長の仕事をする羽目にもなり、ますます現場の仕事からは遠ざかり、私の直属の8名の部門長(営業、マーケティング、学術、エンジニアリング、物流、IT、人事、経理の本部長たち)と会社の経営をしていたので、私が直接何かの手を現場で下すことはできなくなっていたのだった。だから、その後に全世界を統括するデジタルマーケティングリーダーになった時にも、実はマネージャーたちにビジョンを示し、戦略の立案とロードマップを建てて、適切な指示をして、チームのパフォーマンスを最大化すればいいくらいにしか考えていないまま就任プレゼンを行ったものだから、「あなたは、今から何ができるといんだ?どうするつもりなんだ?」などと言われてしまったのだ。


 おかげで、今までの延長線上で、自分の経験やスキルを活かして仕事をするというよりも、新たに自分をゼロリセットして、自分もグローバルチームも再構築するくらいのつもりで、管理職としてではなく、同じ目線のデジタルマーケターとして学び、日々一緒に考えて、手を動かすことに挑戦することができたのだ。


 この就任時に私が任された仕事で、最も大きなものはこれまでほったらかしになっていたグローバルWebのリニューアルだ。しかし、これまで前任者たちが数億円単位でお金を使って無駄にしてきたおかげで、与えられる予算がないという。私のチームメンバーだけで、全世界に50名ほどスタッフが散らばっているので、追加予算なしで自力で24ヶ月かけて(こんなノンビリしたスケジュールは、すなわち期待をされておらず急がないよ、というのとお金はないけど人はたくさんいるんだからなんとかしろという意味らしい)、現状のWebサイトの10%に相当する戦略的なドル箱商品群のページを根本的に作り直して、それがちゃんとできれば、新たに予算を考えてもいい、という結構辛いプロジェクトだ。


 つまり私の任期は最低でも2年、成功すれば、まだ先があるが、失敗すれば、私だけでなく全員が首だ。こういう前提では皆のモチベーションもなかなか上がらない。就任したばかりで、右も左も分からない私は、GEではよくある現状の棚卸しという、世界中のチームメンバーと会って話をして、ありとあらゆるドキュメントに目を通して、状況把握だけをして見ることにした。わかったことは専門性が非常に高い集団で、大きくは、デザインチーム(スウェーデンに5人)、テクノロジーチーム(スウェーデンに5人)、SEOチーム(ボストンに2人)、ソーシャルチーム(ロンドンに1人)、そしてコンテンツチーム(世界中に37人が点在、自宅でお仕事)の5つに分かれて、5人のマネージャーが統括していた。


 しかし、地理的に世界中に分かれて仕事をしているだけで、世界中で協力しあっているわけではなく、単にローカルのデジタルマーケターをひとくくりにして、グローバルデジタルマーケティングチームと呼んでいるだけで、これでは一つのチームである必要もないほどバラバラに仕事をしており、シナジーも何もなく、5人のマネージャーもお互いに干渉せずに、協力をすることなく興味もないという状態だったのだ。ちょっとこれには面食らった。今までは、チームパフォーマンスを最大化するためには、メンバーの強みと弱みを把握して、お互いに補完しあうことでシナジーを産むことがチームの働き方だと思ってやってきたので、「さすがにグローバルチームは日本と勝手が違うな」と途方にくれたのは、ここだけの話だ。


 就任直後、私は日本ではまだ社長職の引き継ぎする相手がいないままだったので、ズルズルと日本のオフィスに顔を出したりして、中途半端な仕事の仕方をしていた。グローバルリーダーが本社に赴任しないまま日本に常駐してはたらくとなると、何が起きるかといえば、日本時間の夕方4時にロンドンのチームが動き出し、5時にはスウェーデンのチームが、そして、夜中の10時からボストンが、さらにはコロラドのチームもいたので、5人のマネージャー全員とビデオ会議をするとなると、夜中の11時くらいからスタートする羽目になるのだ。これで日本での引き継ぎもできないまま、新宿にあったオフィスに朝9時にのこのことかを出社したりしていた日には、朝の9時から夜中の12時過ぎまで働くという完全なブラック企業になってしまったので、ほどなくして私は自宅で仕事をするという働き方を選ぶことになった。


 息子も娘もすでに巣立っていったので、彼らの勉強部屋が空いているから、そこをオフィスにした。始業時間は毎日夕方の4時、エンドは夜中の12時。朝はゆっくりと起きて朝食を奥様と一緒に食べて、テレビを見たり、散歩に行ったり、買い物に行ったりしてランチを楽しみ、少し昼寝をしたら、午後4時からお仕事の開始だ。なんだか昼夜逆転した水商売のお姉さんのような生活が始まった。おかげで平日は晩酌はできないために、体重が少し軽くなった。その前の社長だった頃は荒れていて(笑)、年末には毎日ワインボトルを一本あけるほどのキツ〜イプレッシャーの中で働いていたこともあったので、とっても健康的になったし、ストレスも少ない。


 ある日、日本でいつものように朝起きるとCMOからメールが入っていた。まるで嫌がらせのように急に「CEOに対してデジタルマーケティング戦略を15分で説明できるプレゼンを、明日までに用意しろ」とある。まだ全体を把握できていないし、頭の中にしか戦略もロードマップもなかったので、途方にくれた。私の手元にあるのは前任者のすっとぼけた絵に描いた餅のようないかにもコンサルタントが作ったような見栄えだけが良くて中身のないスライド一式だけだ。仕方がないので、手書きで考えていることをスケッチして、それをスキャンして、夕方の4時にロンドンのDimithriとスウェーデンのDiegoとNinaに「こういう事情なので、助けてくれ」とメールをして、その日はふてくされて珍しく晩酌をして寝付いてしまった。まるで大人気ない。


 おかげでぐっすり眠れて目覚めも良かったが、ふと「あぁ、今日の夕方にはCEOにプレゼンか、シャレにならないな」と嫌なことを思い出しては気分がどーんと落ち込んだ。また、さらに嫌なメールが届いているかも、と恐る恐るメールを開くと、残念ながら、昨日頼んでおいたロンドンのDimithriからも、スウェーデンチームの誰からも返事は来ていない。あぁ、まだ信用されていないから仕方がないと、がっかりしたところ、ボストンのLeslieからメールが入っていたのだ。なんだろうと思って開けてみると、パワーポイントファイルが添付されていて、一言「Here you go!(さぁ、どうぞ!)」とだけ書いてある。ファイルをダブルクリックして、驚いた。私が紙にフリーハンドで書きなぐった適当なとんち絵が、完璧なプレゼンテーションスライドになって、必要なデータやグラフや図解入りで出来上がっているではないか。これはまるで、グリム童話の「小人の靴屋さん」だ。私がビール飲んで寝ている間に、ロンドン→スウェーデン→ボストン→コロラドとマネージャーが、グローバルに連携して、仕上げてしまったのだ。こ、これこそ、真のグローバルの働き方じゃないの?要は24時間3交代で働けば、3倍のスピードでプロジェクトは進められるよね?


 そこで、例の24ヶ月プロジェクトを、アジア→ヨーロッパ→アメリカと24時間3交代で回せば理論的に8ヶ月で終わるんじゃない、と言うことで組織と役割変更をして、やってみたところ、本当に8ヶ月で終わってしまったのだ、追加予算も追加の人員もなしで。これには驚いた。3倍のスピードでプロジェクトを完了させたわけだ。どうして、今まで思いつかなかったんだろう?


 この時に、手がけたのはドル箱商品のWebサイトのリニューアルだったのだが、あくまでパイロットスタディなので、古いページも残して、新ページも同時に運用して、パフォーマンスを比較してみた。新しいWebは当たり前だが、全言語に対応し、レスポンシブで、会員制機能も持ち、MAと統合されて、LTVを最大化するための仕掛け満載で、しかもシンプルで美しい。古いWebでは18階層くらい深くなっていたが新しいWebでは最大で3階層まで。ランディングページに以前は60箇所以上のクリックするバナーやリンクがちりばめられていたので、新しいサイトでは立ったの4つだけだ。以前よりもぐ〜ッと使いやすくなったはずなので、新旧Webの性能比較を行ってみた。それは、どちらがリードをたくさん獲得できるかという金額の勝負だ。どちらも見積もり依頼の機能があるので、数週間でどっちがたくさんの金額的な貢献ができるかをチェックしてみた。


 ページへの訪問者という観点では、旧Webの方が完璧にSEOが機能していて圧倒的な訪問者数なのだが、見積もり依頼という観点では、新Webは、232件・13億円相当の見積もり依頼が入って、旧Webの2倍のパフォーマンスを発揮した。新旧合わせると、合計で19億円・と従来の3倍の見積もり依頼を獲得できたのだ。もちろんこれで、有頂天になった私は、3倍のスピードでプロジェクトを完了させただけでなく、見積もり依頼も3倍にできたと吹聴して回ったが、CEOからの返事は、追加予算なしで、そこまでできるんだったら、これからもその調子で、残りのWebの作り直しもやってくれというものだった。がっくりして、チームにそのことを伝えると、スウェーデンのテクノロジーチームが、面白いデータを見せてくれた。


 Diegoが「Atsu、新旧Webの性能を比較して、3倍に増えたと言ったけど、そうじゃないんだよ」というのだ。

「どういうこと?意味わかんないよ」と私。

Diego「今回のWebの改修で、UIは大きく入れ替えたけれど、肝心のコンテンツは一緒なんだよ。つまりね、ユーザーインタフェースを変えただけで、これだけ見積もり依頼が増えたのは、実は増えたんじゃなく、今までの旧Webでロスしていた見積もり依頼があって、それを新しいWebのUIのおかげで取りこぼさなかった、というだけで、今も旧Webサイトでは機会損失し続けているんだよ」

「そ、それだ!」と私

Dieog「で、今回のパイロットスタディは、全体の1割でしかないから、旧Web全体で、一体いくらの機会損失が1年間で起きているか試算すると」

「試算したんだ!? それいくらだよ?」と尋ねると

Diegoはニヤッと笑って「ざっと年間で800億円の見積もり依頼を旧WebのダメダメのUIのおかげで、取りこぼしていることになるな」とそれを聞いた私は、すぐさまにCMOとCEOに駆け込んで、800億円の機会損失を訴えた。


 翌朝、CMOがやってきて「Atsu、4億円の追加予算の承認がおりたから、残りのWebの改修をそのお得意の24時間3交代制で6ヶ月で終わらせてくれ」と言い放ったのだ。4億円!僕らの要求金額の2倍の額だ。しかし、2億円で18ヶ月で改修できるという提案だったのが、予算が2倍になって、期間は3分の1でやれという命令だ。もちろん、プラチナチケットを逃す手はない、すぐさま「オーケー、すぐに取り掛かるよ」と手を握った。


 そこから、チームと話し合って、この4億円があれば、24時間3交代で我々が必死に分担して働かなくとも、アウトソーシングして加速すれば6ヶ月で十分に完了できると結論づけたのだ。そこで、社外の専門家たちの選別をすることになった。


 特に社内にはないデジタルマーケティングのノウハウやスキルや技術を、社外に依存するのだが、日本と決定的に違ったのは、日本なら電通や博報堂やアクセンチュアデジタルといった大手に頼むのが安心だ、と考えがちだったが、グローバルでは最先端のマーケティング手法や実例、テクノロジーそして知見を持つのは極めて優秀な個人、すなわちウルトラスーパーフリーランサー(フリーエージェントというらしい)の連中だ。


 彼らも決して最初から個人事業主だったわけではなく、大きな会社で経験を積み実績を残し、そして独立したツワモノばかりなのだ。海外では優秀な人間から順に会社を辞めて独立していくようなのだ。確かに、彼らの方が外部のコンサルティング会社なんかよりも、はるかに歴戦で経験を積んだプロフェッショナルだったのだ。日本では、よく定年を迎えたのを契機に独立して、元いた会社から仕事をもらったりしているが、会社にいる頃から彼らの活躍は業界中に知れ渡り、独立した途端に、多くの会社から契約依頼が殺到する、会社という枠にとらわれずに自分の好きなことをやるだけで、食っていけるどころではない収入も得ているという。